沢山の本を読んでいる妹に比べ、あまり本を読んでこなかった大ばか者の私だが、数少ない読書経験からもふと思うことがある。
それは昔に比べ話の展開が加速しているということ。
(勿論、周知の事実だとはわかっている)
19世紀の小説、エミール・ゾラの「ナナ」を読んだとき、前半部分はひどく退屈だった。
ところが後半になると徐々に話が進みだして一気に面白くなる。
むしろ絶頂で終わるので長さが物足りないくらいだ。
しかし現代小説は前半部分から惹きつけられるものが多い。
テンポも良く、ちゃっちゃと話が進む。
絶頂は中盤か中盤より後ろに配置され、徐々に集約して終わる。後味が良かろうと悪かろうと物足りなさは感じない。
これは本だけでなく、映画にも当てはまる。
とくに20年代ころの映画は導入部分がひどく長たらしいものが多い。テンポも今の感覚からすると悪かったりする。
昔は時間の感覚が異なっていたのか、それとも昔は娯楽が少なくそれを読むあるいは観るしかなかったから前半で惹きつける必要がなかったのか。
今は娯楽があふれているし、読む本あるいは観る映画も沢山ある。その中で読んでもらう観てもらうには前半で惹きつける必要がある。
こういう理由もあるかもしれない。
そして、本や映画でなく、展開の加速は日常生活や社会にも当てはまる。
情報の広がりのスピード、物が届くスピード、物が出来上がるスピード、インターネットの回線のスピード、料理のスピード、移動のスピード、家事のスピード…。
何もかもが加速していて時間は短縮されていく。
となるとどんどんほかのことができるわけでさらに行為のスピードが加速していく。
(これ以上速くなったら一体どうなるのだろう)
ところが人生は減速している。
医学の進歩で平均寿命は延びており、事故や難しい病気にかからぬ限り死ぬスピードは遅くなった。
私たちは加速した社会に自分たちを合わせなければならないのに、減速した人生を送るようになったのだ。
(今や人生はピザやクッキーの生地みたいに伸ばし棒で引き伸ばされているから濃密な人生を送るのは難しい)
今後は減速した人生のための設計が必要かもしれない。